清栄会の成り立ち
昭和38年3月10日に59歳で急逝した清元節三味線の名手で、重要無形文化財保持者(人間国宝)であった清元栄寿郎(本名・宮川源次)には、遺産を相続すべき法定相続人がおりませんでした。そこで、関係者により相談された結果、伝統芸能発展のために貢献したいという故人の遺志を尊重し、その財産の全てを国立劇場(現・独立行政法人日本芸術文化振興会)に寄付することになり、それを受けて、国立劇場によって昭和48年4月1日に財団法人清栄会が設立されました。因みに、清栄会とは清元の清と栄寿郎の栄をとって名付けられました。

清元栄寿郎経歴
清元栄寿郎プロフィール清元栄寿郎は明治37年(1904)東京牛込に生まれ、6歳で清元順三郎に入門した。幼い頃からその才能は評判で、12歳ですでに初舞台を踏んでいた。大正11年(1922)、清元節が五世清元延寿太夫派と三世清元梅吉派に分かれたとき、栄寿郎は師とともに梅吉派につき、一時は太夫となったが間もなく延寿太夫派に復帰し、延寿太夫に認められて三味線方となり、昭和12年(1937)、三世栄次郎を襲名した。 以来、五世延寿太夫とその息子の四世栄寿太夫、五世が指名した志寿太夫のタテ三味線を弾き、戦後は五世の孫・六世延寿太夫の三味線を勤め、伝統継承のため尽力した。とりわけ志寿太夫とのコンビは絶妙で、清元節のよさを最大限に発揮し、戦後の清元節黄金時代を招来した。 演奏はもちろん作曲にも優れており、昭和26年(1951)、文部省芸術祭参加作品として作曲した『十三夜』は、賀茂真淵と本居宣長の国学伝授の物語で、清元節にはそれまでなかった題材で、これを土岐善麿作詞、清元栄寿郎作曲、清元延寿太夫、栄次郎の演奏で芸術賞の受賞となった。また邦楽の新生面を拓くため新たに生まれた大和楽にも、宮川源次または宮川寿朗の名で『あやめ』『団十郎娘』など多数作曲した。 昭和28年(1953)、清元栄寿郎と改名。昭和30年(1955)、人間国宝の認定を受けるが、昭和38年(1963)、59歳の若さで他界した。艶麗で気品にあふれ、珠をまろばすような音締めであった。認定が清元節では一番早く、最も若かっただけにその才能は計り知れず、短命であったことが惜しまれる。

■住所 : 〒102-8656 東京都千代田区隼町4-1 国立劇場内
■TEL: 03-3265-0428  FAX:03-3265-0448
■地域: 東京都 > 千代田区
■最寄り駅: 永田町駅、半蔵門駅、麹町駅


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■業種:
学術・文化団体

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提供:茂手木潔子 撮影:青木信二

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